仕事の合間に時間を作りアジアハイウエイを走った。
トルコのイスタンブールより東京迄、AH1号線と言われるルートです。
2005年の9月より2007年の9月まで、足かけ2年の旅となりました。
最初、一人旅でしたが途中で友人が参加したいと二人旅の時もありました。
出発点は妹の住むギリシャのクレタ島イラクレオン、そこから学園都市テッサロニキに船で渡り陸路でトルコのイスタンブールに入りました。
これから始まる未知の土地での出来事に胸の高鳴りをおぼえたものです。
総走行距離25,000キロ トルコ・イラン・パキスタン・インド・ネパール・バングラデシュ・ミヤンマーは国境が閉鎖されて入れず、チッタゴンよりシンガポールに車を送りました。
シンガポール・マレーシア・タイ・ラオス・カンボジアとまわりベトナム国境へ。
ここでも車は入れずしかたなくプノンペンに戻り、日本大使館に相談に行ったりベトナム大使館にも相談に行ったがNO以外解決の方法がなかった。
時間がないのでしかたなく車を預ける場所を探し街を走っていると日本国旗をマークにした自動車販売店があったので、入ってみるとオーナーが日本人の青年で事情を説明すると心よく預かってくれるとの事。
それで計画を変更してバスでホーチミンに入り、バスと汽車でハノイに行きました。
それからまたバスで中国国境を越え、またバスで2日かかって中国広東に着き、空路帰国しました。
再度プノンペンに渡り、車を受け取りバッタバンからバイリンを通り国境を越えタイに入りラムチヤバンの港から日本の下関に車を送りました。
9月8日車を受け取り、博多からフェリーで最後の国 韓国に向かいました。
釜山・光州・大田・ソウル・束草(ソクチョ) と東海岸をまわり、浦項(ボバン)から大邱、慶洲をへて釜山に戻り9月15日、朝フェリーで博多に着き山陽道・東海道・中央道をへて9月17日13時15分横浜の会社前に無事着きました。
走りぬけた各国の沿道の人々に多くの親切を受け感動、感激連続の旅でした。
あらためて世界は一つという実感を強く感じた旅でした。 |