発祥の地、横浜から。“オリツルサイダー”復活

発祥の地 横浜から。半世紀の時を経て”オリツルサイダー”復活

現在のオリツルサイダー

地元のブランドを大切にしようという昨今の流れの中で、新横浜ラーメン博物館様が賛同してくださり、2006年4月より旧式の手動式ラムネ製造機を使い来場者に実際にラムネ製造を体験していただける店舗を、地下二階広場に開店。

また同年11月には、朝日新聞で弊社の昭和10年台の横浜野沢屋(現松坂屋様)の屋上売店の記事が掲載され、松坂屋様のご厚意により弊社のオリツルサイダーのコーナーを、1F酒類売り場にて展開させていただいております。

オリツルサイダーの歴史

オリツルサイダーの歴史

弊社は1901年(明治34年)の創業時、生麩の製造業者として、横浜の地で営業を行ってきましたが、1927年(昭和2年)オリツルラムネという名前でラムネの製造販売を始め翌年にはオリツルサイダーの製造を開始、そして終戦、米国の占領軍の施設への納入業者として、娯楽施設(マッカーサー劇場、ゲーリック球場等米軍に接収された施設)にサイダー、ラムネなどの飲料、食料品を納めていました。

そこで赤い折鶴のエキゾチックなマークのサイダーが米軍兵の評判を呼び土産品として大量に買い込まれました。

横浜とサイダーの関係

1863年(文久3年)に我が国での清涼飲料水製造の元祖とも呼ばれる英国人ノースレーは、横浜で『ノース&レー商会』と称す薬種商を開業し、1868年(明治元年)横浜居留地でレモネード、ジンジャーエール等の製造を始めました。

1899年(明治32年)横浜扇町の秋山巳之助氏が日本で初めてサイダー製造の工業化に成功し『金線サイダー』とその名を永く伝えられるサイダーの製造を始めました。横浜は日本人によるサイダー製造と名前の発祥地なのです。