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かながわの元気な企業

かながわの元気な企業

海内工業株式会社

海内工業株式会社


JR中山駅から車で10分程、中山工業団地の一角に、歴史ある同社の社屋が見える。創立から54年、一貫して横浜の金属加工の雄として技術と顧客からの信頼を蓄積してきた。工場内には、古くからある板金加工機械が所狭しと並ぶ。その手入れの行き届いた機械群の前に、“曲げ”について圧倒的な技術を誇る職人達が座り、プログラミングをカバーする技と勘で次々と製品を仕上げていく。

社長の長女美和さんが同社に入社してから3年、数々の町工場が打撃を受け悲鳴を上げる中、リーマンショックで抱えた負債を終わらせ、銀行からの借り入れも、この2012年春、ゼロになる。

美和さんが自然に工場内でかける溌剌とした声、寡黙な職人達も一瞬表情が変わり、冗談も飛ぶ。「美和さんが来てから、明るくなったよね」

しかしながら、現場を一手に支えてきた職人をはじめ、細かな作業を綿密に地道にこなす他の女性社員のみなさんの活躍があってこそ、と経営者である父娘は、顧みる。

外の世界から、町工場に、一石を投じたこと。その効果が、父である社長にも、社員のみなさんにも、ひいては周囲の協力工場・顧客に至るまで、じわじわと及んできたに違いない、3年間の軌跡。

リーマンショック、「実」が危ない・・・

顯治さん「2000年に、先代から引き継いで私が社長になりました。その後、ちょうど、バブルのはじけた傷が癒えたかな・・と思ったその頃に、リーマンショック。売上が3割落ちました。リストラはせず、社員みんなで乗り切ろうと決めていましたが・・・仕事が、ないわけです」

美和さん「2008年11月に当社に入社しました。リーマンショックが同年のちょうど8月くらい。

それまでは、金融業界という、およそモノづくりとはかけ離れた業種に身を置いていました。資産運用3年、当社でモノづくりを3年やってみて、今に至ります。ええ、似ているところも、違うところもありますね。リーマンショックの起きる前金融の現場で仕事をしていた私は、架空の、バーチャルの世界観で『実(産業)との乖離がありすぎるな、一体いつ崩落がはじまってもおかしくないな・・』という感覚でいました。いつか、そろそろ、何かが起きるのでは・・と。大企業自体の経営状況も下がりはじめ、中小企業にその波が及んでいくとわかっていたが、ずっと声もかけずにいた実家の海内工業は一体・・と思いはじめたちょうどその頃、兄の誕生会で、はじめてその話になった。海内工業の、仕事が減っていたのを知った。マズイな、と思った。他人事のように分析者でいることはできなくなった。・・・それが、入社のきっかけでした」

 

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自称“エイリアン”

顯治さん「自分自身がほんとうは、指揮者になりたかった、という夢を持っていまして。3人の子供達(2男1女、末っ子が美和さん)に当社の後継を、とは全く期待していなかったので、いっさいモノづくりに関する教育をしてこなかったのです。実際に、兄2人は現在も別の道を歩んでいます。美和が入社してくれる、と聞いたときには、嬉しかったですねえ・・。リーマンショックで苦しい時でしたし、私の代で当社は終わりだ、とさえ思っていましたから。しかも、私はずっと現場中心で、営業力に自信がなかった。美和が営業として動いてくれたら心強い、と思っていました。

が、営業をするにも広告塔として動くにも、ただ“若い女性だ”というだけで通じるほど甘くないのがモノづくりの世界。モノづくりのいろはを、それこそ、『板金とは、金型とは』というところから、美和は本を買ってきては独学し工場で職人に聞き・・、その繰り返しで自分のものにしていってくれたのです」

美和さん「やり方ですね。方向性は間違ってないのですが、コトを起こそうとするタイミングや、やり方の違いで苦労しました。どうしても私は、スピード感を求めたくなるのです。はじめは社員のみんなから、『この子は俺達とは違う世界の住人なんだ』と思われていた。自分や相手がいい悪いとかではなく異次元にきた感覚でいたほうが、工場で起こる現実を受け止めやすかったので、エイリアンと自称していました。話が通じないこともたくさんあった。涙もよく(笑)流しましたよ。今では、嬉し涙もありますが・・!?」

顯治さん「心配?それはしていなかったのです。美和のやり方が、もしかしたらそれまでのモノづくりの世界を変えてくれるんじゃないか、と思っていましたから。実際に、女性がモノづくりの現場最前線にいることが珍しかったのも功を奏したと思います。仕事の輪が、着実に拡がっていったのです」

美和さん「若い女性だから・・とかそういう話ではなく、お客様にとって私は、異次元から来たエイリアン。
エイリアンで、モノづくりの『モ』もわからない私がフロントで営業することになった時、悩みました。『どうお客様のお役に立てるのだろうか』。思いついたのは、“スピード”、つまり、レスポンスの早さ。『お客様のために何ができるか』考えたこと、そこが響いたのだと思います。既存のお客様とのつながりがさらに濃くなり、また新規のお客様の開拓も、会社のWebサイトの立上げで開始。Webサイトでは、当社の強みを打ち出すことに成功しました。24時間、土日も対応。いえいえ、それまでも実際、父が実践していたことを、あえて前面にだしただけなんですが・・。あとは、当社の強みとしてきた“曲げ”が、本当に技術として他社と比べて強いのか。そこについて今、国内外で確認中です。はい、手ごたえは、ありますよ。“今”ならいける、と」

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父娘で、並んでみる、夢。研究所。

美和さん「よくもわるくも、モノづくりを知らずにこの世界にとびこんだ私。以前までは、頼らずに1人でなんでもやってしまっていた。けれど、モノづくりの世界では、頼らざるをえなかった。聞く。素直に聞く。これは父に対してだけでではなく、会社の先輩職人さんたちにも同じ。そして、この、“素直に聞く”がベースで、叶えたい、夢があります。“研究所”をつくりたい。モノづくりって、そのモノが実在するうえに、それを使う人や人の生活までをも考えることができる。大企業でなく町工場なら、人の顔も見えるやり方で、モノもつくれる。モノをつくるために研究できること、その楽しさを知って、モノづくりにかかわる人を増やしたい。労働集約型で3Kというイメージがいまだに消えない製造業では、賃金が安いほうに流れがちですがそうではなく、日本のこの研究所に行けば、エッジのある技術、何よりモノづくり好きが集まる。そんな研究所をつくりたいですね。しかも、その研究所の中は、依存し合うのではなく、個々でも世界で通用する技術・パワーを持つメンバー・工場群が集う感じで。

そのときの父や当社の位置?今と同じです。すでに、動きはじめています。尖ったメンバーと集ってモノをつくってコトを起こす。その際、モノづくりの疑問点・研究箇所は父や当社の先輩職人に相談しています。ああじゃない、こうじゃない、って。一緒にそのままやっていきたいですね」

顯治さん「楽しそうでいい。本業が、ちゃんと、まわっていれば(笑)!!」

美和さん「つくったモノを実際に触ることができて、それをつくる人がいて、場所があって、生きいるという実感を得られる。納品で得られる達成感も好き。モノづくりを楽しんでいれば、そして自分がその中に入ってワクワクドキドキしていれば、なりたいようになれる・・・そう信じて、毎日働いています」

社  名 海内工業株式会社
所在地 〒226-0012 横浜市緑区上山1-5-15
電話・FAX Tel045-931-4524 / Fax045-932-8288
事業内容 金属加工業

「美和さんの新しい挑戦や素顔について」などの続きは、産業Navi Web記事「続・かながわの元気な企業」をご覧ください。

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