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「ヨコハマの海と、一生一職人の自分と」 有限会社藤崎(2011年8月18日掲載)

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海の小さなほんもの”に目をやる藤崎さん

「言いたいのはね、一言。自分の技術力を、投入したいんだ」
“fujisaki”のロゴの入ったぴんとしたシャツの袖、その目の先には、同社オリジナル“子供船長”の帽子が。
ほんものの船長帽の完全な縮小版のこの小さな帽子。
1ミリたりとも、妥協はない。
「小さいほどね、技術力が必要なんです。大人用の機械は使えないんですから・・」

自らの分身をみつめるように“海の小さなほんもの”に目をやる藤崎さん。

海の小さなほんもの”に目をやる藤崎さん

伝統の船舶制服を手掛け創業50年を誇る同社のを支えてきた、匠の手。
繊細で、あたたかそうで、凛としていた。

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7歳で単身修業

藤崎は、義理の親の姓です。
わたしは、実の両親をはやくに亡くし、小僧として修業に出されまして。
岩手県の花巻市から、浅草に。
7歳のときです。それが、藤崎です。当時、洋菓子店か洋服店か選べて、小さいながらに、「手に職をつけたい」と思ったのでしょう、この世界にはいりました。
はい、もう、それこそ、地球の裏側にほっぽりだされたような気持ちでしたね・・・

厳しい義父・兄弟子たちからのしつけに耐えながら修業を続けました。
16歳のとき、認めてもらえたんですね・・他の弟子たちでなく、わたしだけが藤崎の養子として迎えられたのです。

当時は、一般の紳士・婦人服をつくっていた当社。
自分でパターンを起こして、裁断して、縫い上げる。今のように分業制ではなく、これをすべてできなければ1人前として認められませんでしたから。
売るところまで、すべて仕込まれましたよ。
それぞれのお客様に応じて、どのような言葉遣いで接していくか、すべてこのとき学びました。
いま思えば、この当時机上でなく、「実業」で得たことのすべてが、ものすごい貴重で大切で役に立ったのです。

上下関係はそれはそれは厳しいものでしたが、上も下も、そこは同じだと思いますね。

 

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ここ、ヨコハマで、海の仕事に。

義父がトラブルの連続のなか、良き呑み友達に恵まれたわたしは、海員労働組合を紹介してもらったのです。
そこから、海の仕事にかかわりはじめて、今に至っています。
最初は、アメリカ海軍の船員さんが身に着けるものから。
わたしの会社の場所が、海軍の船員さんの荷物預かり場であったり、待ち合わせ場であったりしていまして。
そう、当時から、「お金にならないこと」ばかり一生懸命やっちゃう性分でしてね・・。

ここ、ヨコハマは、大好きな海の仕事ができるようになった場所。

 

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天命として与えられた仕事、実は・・

藤崎さん

もともとほんとうは、エンジニアになりたかった。
飛行機や車のエンジンをつくりたかったんですね。で、定時制高校の航空機学科で学んだこともあった。
だから、洋服づくりの職人として、船舶のお仕事ができるようになったことを、ほんとうにしあわせに思います。

跡継ぎ?今はいないんです。
「そのときになったら、考えよう!」と思ってます。

産業Naviのページを見て、いろいろな船舶関係の方からお仕事の話をいただいた。
横浜ランデヴープロジェクトにもかかわることができた。
そして、日本郵船歴史博物館の方ともつながることができた。

天命として与えられた仕事だと思っています。
実は、実の父方の近い親族が、海軍大将だったと3年前に知ったんですよ!
海との不思議なつながりは、もしかして・・
どうなのかな・・?(笑)

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