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日本での「常識」・日本人の持つ「常識」なんて、全く通用しない世界でビジネスをする、ということ。

日本での「常識」・日本人の持つ「常識」なんて、全く通用しない世界でビジネスをする、ということ。

「海外」を考える中小企業にとって〜シリーズ第2弾。道を切り拓く経営者さんに、どんどん聞く。


 

  • 自分の足で地を歩き、自分の目で見て、単に1コマに過ぎない風景でも、つたえてみたい。

    と書き始めた前回の海外進出関連の記事。
    予想以上にご好評をいただき、この記事をきっかけとした人脈・連携などがゆっくりじっくり生まれはじめている。

    もちろん、自分の足でもっと現地を歩き、どんどん各国の記事を書くことができたらいうことなし!なのだが、そうはいかない。資金も時間も限定されているのだ。


    ・・・そんな自分に、そんな産業Naviにある、他のメディアにない強い味方。

    それは、実際にビジネスで海外の地に1人立ち、迷い、時に苦しみ、時に止まりながらも、今笑顔でそんな生々しい経験を語ってくださる経営者さんたちだ。

    ネットや本の活字の知識では得られない、現地に行かずして触れることのできる「海外進出」。

    素直な目で経営者さんを見つめ、素直な耳で経営者さんの言葉をかみしめ文章にする。
    この形でも、産業Naviならではの記事を発信することができる、と思った。

    愛知県安城市の金属加工メーカー 株式会社丸三金属 代表取締役 成瀬一晴さんとビジネスパートナーである株式会社idea 代表取締役 松村弘章さんに、お話しを伺った。

    領土問題で隣国とのビジネスについてさまざまな情報が日々メディアから流れる、今。
    この時期にこの取材が叶ったことも、また、ご縁だ。

株式会社丸三金属と、海外。

株式会社丸三金属日本本社祖父が機織りからはじめた会社です。  (右写真:株式会社丸三金属 日本本社)

社名の由来は、「父とのその兄弟3人が丸くやっていくように」、との思いがこもっていて。
機織りから工作機械そして自動車部品にメイン事業を移行して、成長してきました。

海外への進出は、父の跡を継いだ私の代から。
父は、どうしても海外に出たかったけれど叶わなかった、

だから、
「お前は海外に出ろよ」
とずっと言われてきたのが、しみついていたのでしょう。

大学3年の夏休み、オーストラリアへワーキングホリデーに行きました。
そこで初めて体験した、日本人に対する差別
「世界の中では、アジアこそが仲間である」
「海外では自分自身が日本に誇りをもち、日本の顔であると自覚して仕事するんだ」
という意識が根付いたのがその時。

ホテルでベッドメイクのアルバイトをして生計を立てていましたが、自ら積極的に休憩時間にエントランスの砂利を綺麗にしていました。
ホテルからは、「給料は出ないよ?」と言われましたが、続けました。
宿泊施設として、まず顔であるエントランスを美しく保つこと。
これが日本人の誇れる感覚であり仕事に対する意識なのだと、示したかった。

多くの外国人スタッフ・研修生を日本で受け入れている今、この時の自分の思いや経験が生きています。
研修生たちがみっともないことをしていたら、「自分の国の恥になるようなことはしてはいけないよ」と諭します。



そんな当社は、取引先より早く、1994年には海外進出をはじめていたのです。

中国との、裁判・・・。

名古屋市近郊の安城市にある当社、敷地内には海外の研修生の寮があります。
彼ら・彼女らを連れて浅草スカイツリー見学に行ったり大きな家族のように接しています。
研修生たちにとって、そう、自分は父親のような存在かもしれませんね。
携帯電話はもちろん常に肌身離さず。研修生がケガをしたとか、乗っていた自転車に問題が生じたとか、そんな時は親代わりに動きます。
そして、来年6月にはカンボジアに工場を新設します。

と、こんな風に言うと、すごく海外との壁のない中小企業に見えるかもしれませんが・・
もちろん、順風満帆でここまでやってこれたわけでは、断じてありません。

実は、2年半もの間、中国と裁判をするはめになりまして。お世話になった天津工場華さんと成瀬さん
相手は、中国上海で13年間一緒にやってきた中国現地担当者。
裏切られたのです。

「上海工場の建物」は中国の訴訟相手のもの、
「その工場内の機械やPC等」は出資社である当社のもの・・
という複雑な状態に陥ったのです。

向こうの言い分は、
「いつでもどうぞ、機械を取りにきてください。そのかわり、工場内に入ってはダメですよ」
という始末。
そう、中国との裁判は、日本での「常識」・日本人の持つ「常識」なんて、全く通用しない世界だったのです・・・。

ドイツ製のうちの機械に、黒マジックで「MADE IN CHINA」と走り書きして、「ほら、中国製だ」と言い張るんですよ?!!
そんな相手と、ああ言えばこう言う、1つ要求すれば2つ要求される・・泥沼の応酬が続きました。
解決までは、ほんとうに苦労の連続でした。
悩みもがき、眠れぬ夜なんて数え切れずです。

自分が考え方を変えたきっかけ、有名な諸葛孔明の言。
「策士、策に溺れる」

そうか、シンプルにいこう、と、
策士とやりあうには、対立構造を変えてしまおう、と。
「日本 VS 中国」
という図式ではなく、
「良い者 VS 悪い者」

という図式に変えてしまえばいい、と。
中国2工場の内、天津をこっちの味方にしてしまえばいい、と、思ったのです。

いろいろな専門家に相談して、アドバイスをいただき、まずは、安い機械やPCなどから返却するように求めていきました。
普通、そんな段取りで求めないですよね、高い機械を返して返して、と言ってしまう。

すると、「日本人は悪い」と思い込んでいた中国の上海工場の社員たちが、
「実は、日本人ではなく、こちらの経営者が悪いのでは・・」
と疑念を抱きはじめ、1人離れ、2人離れ・・という事態が発生してきた。
最後は結局、訴訟相手である中国現地担当者の身内しか会社に残らなかったのです。

2年半かかって、訴訟費用1500万円かけて6000万円の機械を取り返しました。
お金だけの問題ではないのです。
6000万の機械を取られてしまったら、当社の製品のコピー品がどんどん出回ってしまうところだった
のです。
技術流出を、防いだのです。

(右上写真:助けてくれた天津の社長、華さんと一緒に)

中小企業が海外進出するのなら、この2つが肝。

1.日本国内にあるその企業が、グローバル化されていること

日本にいる日本人の社員が会社の海外進出をどう捉えるか、が大事
なんです。
社長がそこをほったらかしにして、きちんと説明せず、海外にばかり気持ちがいってしまうと、日本の社員の気持ちは、「反対」に回ります。
インドネシアの現地工場が一生懸命つくってきた製品にたとえ落ち度がなくても、日本の社員が難癖をつけて足を引っ張ろうとする。

自分の居場所がなくなるのでは、と心配するからなのです。
日本にいる日本人の社員に、なぜ海外に進出するか、わかってもらわねばなりません。

そう、「自分の仕事・居場所がとられる」と考えるのではなく、日本でやっていた仕事を現地に渡して、日本では新しい仕事を担う、という 意識が、
日本の社内に芽生えること。

これが大切です。

そして、もちろん、経営者が海外に出ていても日本の経営が成立する体制をつくっておくこと。
これも、グローバル化の必須要件です。


2.海外とのビジネスではビジネスライクを優先すること


たとえ話ですが、海外で「ケーキをくれ」と言われて、すぐにケーキをあげてしまうのが日本人なんですね。

すると日本人なら言ってこない答え、
「じゃあ、クッキーもくれ」
と重ねて要求してくるのが海外。
日本人のように遠慮はありません。

ビジネスでは、報酬・給与を与えることが、かわいがること。
海外とのビジネスで「かわいそうだから」「よくやってくれたから」「世話になったから」と、ビジネス上で情に流されてはだめです。
きちんと契約上の報酬・給与を支払っているのですから、それ以上の要求を簡単にのまないこと。

気持ちや情のやりとりはビジネス以外で、と割り切ることが大切です。

カンボジア遺跡  
成瀬さん撮影、カンボジアの遺跡。

成瀬さんが目指すもの・・・「あの山」でなく、「自分の海」。

いままでは、「あの山に登ればなにかがあるだろう」と必死になっていた時期。みんなが登っている、あの山。カンボジア、プノンペン特別経済開発区
これからは、「あの山」でなく「自分の海」を航行する時代だと思っています。
ブルーオーシャンですね。

ただし、海外に進出することだけがベストだと思っているわけでがありません。
たまたま当社のブルーオーシャンは、海外進出にあった。

中小企業の場合、海外進出の成否が会社の規模や資金力に左右されるのは確かです。

では、小さな会社はどうすればこのいまのさまざまな苦境を越えられるか?

実は、私はこれを考えはじめたのが早かったので、いまがあります。
90年代に早々と自転車操業で苦しみ、迷い、考えて戦略を練っていました。ちょうどバブル崩壊直後ですね。

いろいろな会合に参加し、たくさんの諸先輩方に会って話を聞き、毎日毎日「いつここから抜け出せるんだろう・・」ともがいているうちに・・・


ふといつの間にか、自分から掴める時がきたのです。
その時に自分自身で考え動いたからこそ、自動車産業以外の業種にも取引先を開拓し、いまに至っているのだと思います。

恋愛と一緒ですよ、っていつも私は言ってます(笑)。
答えなんかないんですよ。ひとつの答え、なんてない。

彼女がほしいと思ったら、答えなんかなくって、がむしゃらに自分から動くでしょう?
そしていつの間にか、結婚していた・・・
それと、よく似ている(笑)。

(右上写真:カンボジア、プノンペン特別経済開発区)

1人で日本を飛び出し、アジアをかけめぐる、お2人の思い。


台湾新幹線
松村さん撮影、台湾の新幹線。

前回の中国大連記事でもご紹介した松村さんと成瀬さんは、公私共に意気投合したビジネスパートナー。台湾高雄の夜景
共通点が多いながらも1人でアジア・アセアンをかけめぐるお2人。
日頃は愛知県と群馬県、と離ればなれなのに、海外に出ているスケール感からか、距離を感じさせない会話っぷり。
楽しそうな談笑のなかにも、中小企業の海外進出についてのヒント満載なので、今回一部をご紹介したい。
(以下、敬称略)

「3.11の震災後、考えさせられました。
ほんとうに震災が中部でも起きたら・・・。
工場は立ち直らせなければならない。部品もつくらねばならない。
日本の自社工場を立ち直らせる期間に、バックアップして部品がつくれる状態にしなければ、と。
そこでカンボジアに工場を建設することに。
ベトナム・ミャンマー・インドネシア・・・いろいろ自分で足を運んで現地を見て、カンボジアに決めた理由は政治的・宗教的背景、犯罪リスク・・・等々です。
この11月に地鎮祭を執り行い、来年6月には工場が完成します。
そこから3年で黒字にして配当をだします。
そのために、自分自身、1年のうち日本半分、カンボジア半分の生活になると覚悟しています」(成瀬)

「成瀬さんの今日のお話しの中で、裁判でのご苦労がありましたよね。
私も中国で事務所を構えていた時は、現地のスタッフに急に裏切られ、800万円とられました(!)が、一晩で750万円取返しました(!)。
その時、中国現地での自社事務所やスタッフの自社雇用を辞めよう、と即断即決。
今の、信頼できる優秀な現地スタッフにプロジェクト毎に動いてもらう方式に切り替えました。
この形が自社にとってベストだと気づいたのは、事件が起きたからなんですよね。
自社雇用が無くても17年の間で築き上げた信頼は不変です。今の社会情勢も正直全く気にしていませんし、いつもと変わらず平穏です。デモの横で現地の仲間たちとラーメン食べてましたし・・・(笑) 」(松村)

「中小企業の海外進出において、もうひとつの大事なキーワードが松村さんのお話しに出てきましたね。台湾高雄の港の夜景
撤退の時期。撤退はいつでもできるように心構えと準備をしておくこと。これ、ほんとうに大事です」(成瀬)

「そして、”プラス3”が自分の考え。たとえば中国をプラス1として、あと2カ国に軸をおきたい。
どこかが今回の中国の領土問題のように、ビジネス上の空白期間が突発しても、他の2カ国があればそれを補えるような体制づくり。うーん、ここも、成瀬さんと考え方が似ていますね!!すでにプラス2は、完成しつつあります」(松村)

「円高もある。震災もある。
そんないまだからこそ、海外現地に出ることで得られた新たな取引先もあるのです。
日本から出て、日本から逃げるのでは断じてない。
出ることによって、日本にプラスになることがいろいろあるのです。
かつての華僑が実践して成功したこと、自国から海外に出て現地現物になじんでビジネスで成功すること。
これを今は日本の企業が学んでやるべきときではないか、と思っています。日本の産業が元気になったら、海外での成功を持ち帰ってまた日本に活かせばよい。
自分の足で歩いて新たな井戸を見つけて掘って水を出すことこそが、経営者の仕事
その水を社員をはじめ、取引先・協力先・・・みなでシェアすればいいのです」(成瀬)

なぜ進出するのか?行って何がしたいのか?が、日本の社員が納得できるように話せること。これが簡単に見えて、 なかなか答えられない経営者さんが多い。
実際に行って会社をつくるのなんか簡単。問題はその後なんですね。
ほんとうの意味で異文化を理解していかれるか。経営者さんだけでなく、日本側の企業内も含めて
いま当社は、Skypeで海外のスタッフの顔を見ながら十分しっかり打合せができる。
とことん打合せし、明確な指示を出すことで、パーフェクトな納品が中国からいまやっと可能となってきました。
心強いです。
そして、もちろん、遊び心、も重要ですよ!海外に出てみたい、あそこに行ってなにを食べよう、なにを見よう、現地の生活のなにを知ろう・・
そんな興味を常に持って、楽しむこともとっても大事です」(松村)

「そう!!その興味を持ち、現地の人からの情報こそ大事にすること。偶然の出会いが、海外でだと”同じ日本人”ということですごく強い絆をうみ、なにかを変えていくことが多いのです」(成瀬)

「美味しいもの食べたい、だったり、○○ホテルの最上階で夜景を見ながら乾杯したい、だったり・・・
異国の地で一人摩天楼の最上階に滞在する。これが自分の決まりなんです。かっこつけてるように思われることが多いですが、摩天楼の最上部から眼下を眺めるとヒントが出てくるんです。そのまま朝を迎えることも多いんですよ・・(笑) 」(松村)
(右上写真:台湾高雄の夜景/最上階からの眺望)

「そう、楽しむことでまたなにかが生まれるし、つながるし」(成瀬)

「そんなことをいろいろディスカッションする異文化理解の事例の宝庫のようなセミナーを、成瀬さんをはじめ海外について屈指の経営者さんと一緒に全国各地・世界中で行う予定です。決まり次第アナウンスしますよ!」 (松村)

「ぜひ、私達の生の失敗談を聞いていただきたい。成功事例ばっかりのセミナーは多いかもしれませんが、それだけでは・・。
私がたくさんの先輩経営者さんから学んだように、私のいろいろな経験が若い経営者さんの迷いをふっきるきっかけになれば嬉しいですね!」(成瀬)

→「アジア・アセアン進出セミナー概要」はこちら

→今後連携予定の「海外事例研究会」公式HPはこちら

中小企業の海外進出を考えるセミナーを開催するお2人
セミナーでは、お2人をはじめとする1匹狼のどんな武勇伝が飛び交うのやら・・  (右:成瀬さん、左:松村さん )

 

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