産業Naviトップ > 技術でつながるプロジェクト〜「地域と産業」を考える。

「地域と産業」を考える。

山口県宇部市、1人の”翁”が日本の産業に遺した大きな足跡と現在、そして未来。

地元宇部の高校生によってその偉業がマンガ化されたばかり・・宇部興産の生みの親、「わたなべおう」。


 

  • 「昭和12年4月、宇部の市民館である渡辺翁記念会館が建てられた。
    この前庭に立つのが宇部の炭鉱王である渡辺祐策の銅像である。
    この記念館は明治30年、33歳だった渡辺さんが創業した沖ノ山炭鉱が成功したことで7つの会社が中心となって建てたものだ。

    7つの会社とは、沖ノ山炭鉱、宇部セメント製造、宇部窒素工業、宇部鉄工所、宇部紡績、新沖ノ山炭鉱、宇部電気鉄道で記念館の前に立った6本の柱と中央の台座がそれらを象徴している。

    また、このうち沖ノ山炭鉱、宇部セメント製造、宇部窒素工業、宇部鉄工所の4社が昭和17年3月に合併。

    こうして 宇部興産株式会社が創業された。

    彼が病気でこの世を去ったのが昭和9年7月。70歳の時である。
    この時、彼を顕彰するため、日本一のものを創ろうとした結果がこの記念会館だった。
    そんな彼の好きだった言葉が『共存同栄』。皆で助け合って生きようという考え方であった。
    そんなこともあって『宇部の神様』とまで呼ばれた渡辺祐策。

    しかし、彼は子供の頃 悲運と不幸の連続だった・・・・・・・・」  (本編引用の宇部商工会議所HP掲載箇所より)

    ※マンガ本編では「渡邊」表記を読みやすさ優先のため「渡辺」表記で統一されている


    子供の頃の悲運と不幸、さらに成人し自身の家族をもってからも失う命・・

    詳しくは、ぜひこのマンガを手に取り、知っていただければと思う。
    奇しくも今年平成25年1月に発行されたばかりのこのマンガ。
    宇部商工会議所の旗振りのもと、現在入手困難な「炭山の王国―渡辺祐策とその時代―」(堀 雅昭著 宇部日報社刊)を原案に地元高校生がマンガ化。
    的確で詳細な史実に沿った展開、現役高校生らしい画風による読みやすさ。
    世代をこえていまなお宇部市民に愛され続ける渡邊祐策翁のすべてが息吹いてつたわってくる。
    宇部興産株式会社、日本指折りの大企業だが、その創業から現在に至るまで生き続ける地域と産業の共生進化の秘訣までは、宇部市以外でそう知られてはいないのではないだろうか。

    そんな渡邊翁の曾孫にあたる渡邊裕志さん(現宇部興産機械株式会社顧問)とのご縁に恵まれ、この桜の季節、翁を巡るひとときを宇部で過ごすことができた。
    地域の枠も企業の大きさの枠もこえ、すこしでも自分の目で耳で捉えた事実をつたえたい。
    そんな思いで、ググったらわかる史実やエピソードは他サイトに任せて、自分の琴線に触れた写真メインで綴る記事化を決めた。

    ・・・・・「いまの日本」、だからこそ。

    マンガ「渡辺祐策翁」表紙
    ”翁”とは年配の偉人に対する一敬称だが、「”わたなべおう、わたなべおう”と小さい頃から耳にし、”渡辺王”だと思っていた・・」というほほえましいエピソードもあとがきに掲載されていて。


    マンガ「渡辺祐策翁」中身
    中身をほんの一部ご紹介、この絶妙なバランスがつたわりますように。
    現役高校生の手によるとても愛らしいイマドキの画風が、史実に基づく重厚な内容を小気味よく深く読者の心に刻む。

  • ●「宇部市誕生の歴史がわかる  マンガ<渡辺祐策翁〜「共存同栄」のこころ〜>」 定価 400円


    →→詳細・購入方法は宇部商工会議所HPへ

「産業」を「興す」こと。そのほんとうの意味。

1.沖の山コールセンター

「まずはコールセンターに行きます」
と聞き、電話オペレータさんの大勢座っているセンターを思い浮かべてしまっていた・・(笑)

「コール」違い、call でなく coal(石炭)だったのはいうまでもない。
沖の山コールセンターは、宇部興産創業来の石炭事業で培った経験と最新の技術を結集した、国内最大スケールの海外一般炭輸入中継基地だ。

多くの”炭鉱の街”が閉山により衰退の一途をたどった中、「石炭の富で次世代の仕事を生み出さねば」との渡邊翁の思想に基づき新たな産業を興してきた同社。
一時的に得た富を、一時的にバラ撒く方式でなく、「市民が働く仕事」を生み続けることに注入する経営者が渡邊翁だ。
110超年にわたって継続する「日本の基幹産業」の重みを体感し、翁の先見の明に鳥肌が立つ。

沖の山コールセンター 石炭
これがまさに石炭そのもの。車内からとはいえ、こんなに間近でエネルギー産業の原材料を目にできるとは・・・

沖の山コールセンター スタッカー
石炭の山、山、山。そして巨大なスタッカー。
処理する大型機械も自社製。発電所も化学肥料工場も内部に保有。

沖の山コールセンター アンローダー
専用岸壁で石炭を船から荷揚げするアンローダー。揚炭能力は、なんと毎時2,000t。
この岸壁に石炭が海外から搬入され、異物除去や混炭など加工を行い、またこの岸壁から日本全国へと出荷されるのだ。

宇部地区主力工場地帯一望
宇部興産機械株式会社屋上から宇部地区主力工場地帯を一望。
すべてが事故なくしかも環境にも配慮して操業され続けている、その裏にある歴史、技術、地盤として欠かせない組織力を思うと・・・

宇部地区工場地帯一望
宇部興産機械工場の専用岸壁。
手前に見える青色で塗装された巻揚げ櫓は、石炭立坑の上に残る産業遺構。


沖の山コールセンターのある場所には、かつて炭鉱で働く人々の家族の住む炭鉱住宅があったそう。家族の遊べるプールもあった、当時の写真。
渡邊翁は、炭鉱により生じた富を将来の市民自活の糧にするよう考えるとともに、住まい・学校・病院・・・と働く人々に必要な環境をそろえていくのだった。
炭鉱で働けない女性たちのために、紡績工場もつくったという。


2.伊佐鉱山

沖の山コールセンターから、宇部興産専用道路(日本一長い私道、美祢〜宇部間、全長約28km!)を通って、伊佐鉱山へ。

ダブルストレーラー
専用道路を往来する専用ダブルストレーラー。ナンバーなし。
伊佐鉱山で採掘した石灰石と、隣接する伊佐セメント工場で製造されたセメントの半製品「クリンカー」を毎日運搬するそう。
100tをこえる重量のこのトレーラーのドライバーになるには、特別な運転技術が必要。
整備も特殊で、10名の整備士さんが常駐しているそう。

伊佐鉱山
工場に隣接する伊佐鉱山で、現在でも高純度の石灰石を採掘している。
現地に立つとその大きさに圧倒される。この段々の1段が高さ10mもあるそうだ・・・!

伊佐鉱山
鉱山の壮大なスケールに驚き、いろいろな思いをはせる経営者のみなさん。
左から、株式会社丸三金属 成瀬社長、株式会社米谷製作所 米谷社長、株式会社idea 松村社長(この「技術でつながるプロジェクト」で取材させていただいたメンバー!)
そして、渡邊裕志さん、日新精機株式会社 中村社長。


3.UBE i Plaza(アイプラザ)

創業110周年を記念して宇部本社1階に開設された、UBEグループの歴史や製品・技術を紹介する総合案内施設。

「石炭は掘ってしまったら必ずなくなる。 新しい事業を興して、未来の市民もちゃんと仕事があり自分の力で 生活できるように準備しなければ・・」
という渡邊翁の思いが、まさに実っている、証。

ウベアイプラザ 展示物
「はやぶさ」に用いられた超耐熱素材。
渡邊翁の興した産業は、110年超経ち、遠く宇宙までも拡がって・・・。

ウベアイプラザ 展示物
他、化学繊維、LED材料、薬品、・・・なんと女性用化粧品にまでその技術が生かされている。
今後もさらなる新分野への進出が予想され、日本の「産業」を牽引し続ける宇部興産グループ。
渡邊翁の思い描いた以上の未来が、現在なのではないだろうか。

文化。芸術。働く人々をたいせつに思えばこそ・・・

1.渡邊翁記念会館

翁が宇部市を見渡し見守ることができるように・・・なのだろうか、市中心部に渡邊翁の記念会館と記念公園がある。
会館内部については、宇部市の音楽文化振興活動を行っている「咲夢プロジェクト」代表の真部さんに説明していただいた。
(真部さん、実はご出身は広島とのこと、なのに渡邊翁についても宇部市史実についてもものすごく詳しい・・まるで”歩く歴史秘話ヒストリア”のよう・・♪)

渡邊翁 銅像
記念会館の前に広がる記念公園は、市民の憩いの場。翁の銅像の面前で子供たちが遊ぶ。
この銅像は、生前自身が奉られることを固辞した翁の没後、当時の小中学生を含む1万2千人を超える市民からの寄付金で建立されたもの。

渡邊翁記念会館
記念会館は著名な建築家、村野藤吾設計の傑作として国内外に広く知られた建造物で、平成9年6月には国の登録文化財、平成17年12月には国の重要文化財に指定された。
宇部市の貴重な文化遺産であり、芸術文化活動の拠点施設。
音楽・絵画・彫刻など、渡邊翁が文化・芸術をも愛し人々に広めようとしていたことから、市民の文化活動の拠点となる建物が翁の記念会館となった。


記念会館 炭鉱夫レリーフ
記念会館入口両側には、大きな炭鉱工夫のレリーフが。
働く人々をこそもっともたいせつにした渡邊翁の思いが、顕れている。

記念会館 貴賓室
2階にある貴賓室室内。

渡邊翁 銅像2
カメラを構えたまさにその時、鳥たちが・・・!!

→→「咲夢プロジェクト」詳細は公式facebookページへ


2.グランドピアノの謎と復刻プロジェクト


「山口県宇部市。この街に眠る壊れ果てたグランドピアノ。
それは、90年前小学校に寄贈された世界最高峰のピアノだった。 ・・・」

(”伝説のピアノ復活へ”チラシ掲載文より)

渡邊翁ら20名の有志により宇部市新川尋常小学校に寄贈された当時の世界最高峰STEINWAY &SONSのグランドピアノ。
「なぜ、当時、世界最高峰のピアノが宇部の1小学校に寄贈されたのか・・?」
という謎を秘めたまま、記念館2階に保存されている。
産業を興し、働く人々の気持ちをさらに豊かにする文化・芸術を地域に広めたいという有志の動きのひとつなのだろうか。
もっと深い謎を秘めていそうだ。

咲夢プロジェクトでは、このピアノの復刻プロジェクトにも力を入れている。
真部代表は、
「ぜひこのピアノを直してコンサートをやりたいんです。当時の小学生の子孫の方に復刻したこのピアノをこの記念館で弾いてもらえたら・・」
と熱く語っている。

宇部 伝説のグランドピアノ1
伝説のグランドピアノが静かに飾られている記念会館2階。

宇部伝説のグランドピアノ
本体左横に、寄贈者氏名が記されている。が、よく見ると、一度消されたような跡もあり・・・。


宇部 伝説のグランドピアノ2
鍵盤がはがれたまま・・・。

→→「伝説のピアノ復活プロジェクト」掲載記事(山口宇部経済新聞)

「人間」渡邊翁。後世の家族を、地域までを愛し、愛されるからこそ。

1.生家「松厳園」

緑と花に恵まれた旧き伝統の日本家屋と庭園である「松厳園」が、渡邊翁生家。

ここに、現在も裕志さんをはじめ、ご子孫が暮らしていらっしゃるのだ。
この松厳園に、いま明るい家族の声が日々響きあたたかな日常が営まれ、ときに見学者も迎え入れられ共に翁を思う。
それはきっと、幼いころに家族を亡くし、結婚してからも家を解いて蔵生活を余儀なくされた辛苦の経験を持つ翁にとって、かけがえのない喜びに違いない。

松厳園 門

松厳園 門
門。

松厳園 離れ
この離れが、当時(昭和3年、渡邊翁金婚式を祝って建て増しされた)のままの建物。

松厳園 離れ廊下
当時のままの廊下。

松厳園 伊藤博文書
伊藤博文の書。
「鶴」の字の間にある白い線は、刀で真っ二つに切られた痕だそう。大正7年の宇部の米騒動時に暴徒化した民衆の一部が渡邊翁私邸を襲った時の刀痕。
家人の導きで直前に難を逃れた渡邊翁、こうした名士故の宿命をも背負っての日々だったのだ。

渡邊祐策翁 肖像画
銅像などになることを生前いやがりずっと固辞していたという渡邊翁。翁本人が「肖像画なら・・」と承諾し描かれた唯一の作品。
はにかんだような表情から、銅像とはまた違った人間味あふれる翁を感じることができる。

渡邊翁着用シルクハット
渡邊翁愛用のシルクハット現物。咲夢プロジェクト代表真部さんの現在の推測では、
「昭和天皇即位の礼:御大典1928(昭和3)年11月6日のときか・・・
宇部市行啓1926(大正15)年5月31日のときか・・・
勲三等旭日中綬章を受賞されたときか・・・ ・
想像できる人柄からして、高価な買い物はよほどのことなんですよね」。

渡邊裕志さん
渡邊翁ゆかりの品々が飾られたこの離れで、当時のアルバムを開き説明してくださる裕志さん。
宇部に住んで「あの渡邊翁の・・」と言われることの重圧を、すべて受け止めて自分自身の人生を生きてこられた裕志さんの人としての大きさは、はかりしれないほど。
あたたかく、時に厳しく、時にチャーミング。
わたしたちをはじめ、裕志さんに出会った人ならみな、生前の渡邊翁が想像に難くなく。


2.ときわ公園

大正14年常盤湖周辺の土地をもとに、宇部市が開設したのが、ここ、ときわ公園。
人手に渡りそうだった常盤湖畔の自然に囲まれた美しい土地を、渡邊翁らが私財を出し合い買い上げ、市民のために守ったものだ。
「祐策はね、『自分の家になんて、ほんの少し、ちゃんと生活していけるだけの蓄えがあればいいんだ、天から与えられた石炭の豊(とみ)を天に返す』と言うゼロの思想の人だった」。
裕志さん、愛おしそうに公園を見渡す。

ときわ公園
188haと広大な土地に、湖・池・観覧車などの遊具・宇部ビエンナーレ受賞彫刻作品が並ぶ、市民の憩いの場。入園無料。

カッタ君
ペリカンの「カッタ君」像。幼稚園にいるペリカン(実は、ガラスに映った自分の姿)に恋をして、毎日ときわ公園から通ったという逸話の持ち主だ。

ときわ公園
晴れたあたたかい土曜日の午後。子供連れはもちろん、大人まで自然と芸術に触れ笑顔で過ごせる場所。
地域の人々の自活と家族の憩を願ってやまなかった渡邊翁も、いま笑顔でこの地を見守っているにちがいない。

→→詳細はときわ公園公式サイトへ

<<宇部訪問後記>>

この宇部の歴史と現在に触れ、わたしたち1人1人、産業人として大人として、それぞれの立場でなにをすべきか。
解は、ある、自分で導き出せばよいのだ。


もう1箇所、宇部での時を記すのに書かずにいられない場所がある。
渡邊裕志さんの高校時代からの友達である、西村誠さんの工房だ。


そこには、たくさんの「木のおもちゃ」たち。
車と列車。
材料はすべて廃材・端材で1台ずつ西村さんの手づくり。
技術者として勤め上げた会社員時代からもともと趣味でつくっていた木工のおもちゃ、定年退職を機に、すこしずつ注文も受けはじめた。

「つくりはじめたきっかけ?
それはね。自分の子供のためなんよ。
下の子がうまれて、母ちゃんがおらんようになって、さみしい思いさせちょるなて。
自分にできること、なんでもええから、なにかやってやらにゃあ、と思うてね」。


「男の子はね、この車をこうして手でただ動かしてるだけで楽しいもんなんだ」
「ココのヤスリは甘くないかい?(笑)」
「丸みがいい、西村工房ならではの味」
「このライトがね・・イイ、本物らしくて木で」
「カフェに飾ったらインテリアとしておしゃれ」
「西村工房のロゴをつくって、オリジナルの証に焼印をいれたら素敵」

本物の日本の自動車産業をも支える中小企業の経営者さんたちから、ワイワイガヤガヤいろいろな声が飛ぶ。
ガヤガヤ話していたちょうどその時、たまたま配達に来た郵便局員さんまで、テーブルに広げたおもちゃたちをみてビックリ。

「うわあ・・へえ・・こちらでこんな車をつくってはったんですね!!今度またゆっくり見に来ます!!」

みんなが笑顔。

木のおもちゃを手にし遠方くにいる子供たちも、そのご家族も、きっと笑顔。


これも、ひとつの確かな解に違いない。


西村工房
デザインもすべて西村さんオリジナル。

西村工房 木の車
この素材と丸みの織り成す独特のあたたかさ。子供たちだけでなく、大人も癒され笑顔になる。

西村工房 車製作キット
小さなトラック製作キットは、木工教室開催時の参加者限定のオリジナル。「ものづくり好き」の原点になってくれたら・・・という思いから。参加してみたい!!

→→西村工房作品の購入・お問い合わせはメールにて m-nishi@c-able.ne.jp (実際に送信される場合は@を半角にしてください)



 

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