特別賞 NPO法人ジャパンスポーツコミュニケーションズ

代表理事: 米司 隆明
所在地: 〒224-0025 横浜市都筑区早渕3-30-10
設立: 2007年5月 従業員: 16名
TEL: 045-590-2190 / FAX: 045-590-2191
産業Naviページ: http://www.navida.ne.jp/snavi/100204_1.html
公式ページ: http://www.spocom.org

「運動会」で社会を元気に!運動会のプロフェッショナル集団「運動会屋」

運動会で企業、そして社会を元気にすることが私たちのミッションです。
近年、ますます社内、部署間のコミュニケーション不足、社内の士気低下、団結力の欠如などで悩む企業が増え、その解決策の一つとして、“社内運動会”が再び注目を浴びています。
当社は年間160件以上の社内運動会の企画、運営、等のサポートをさせていただいており、まさに、“運動会のスペシャリスト集団”として、運動会の、ひいてはスポーツの素晴らしさを、社会に広めております。
今後も運動会を通して、元気になる企業が増えることを目標としています。また、運動会をすぐれた日本文化の一つとして、海外に積極的に展開を行っております。
 

運動会は日本文化

ハレの場

 
太宰治の自伝的小説『津軽』のクライマックスは、子守りとして自分を育ててくれたたけとの30年振りの再会の場面だ。そうして、ふたりの再会の場こそが戦時下の国民学校の運動会なのである。太宰はその模様を次のように描写している。「こんな気持をこそ、夢見るやうな気持といふのであらう。本州の北端の漁村で、昔と少しも変らぬ悲しいほど美しく賑やかな祭礼が、いま目の前で行はれてゐるのだ。まづ、万国旗。着飾つた娘たち。(中略)それぞれの家族が重箱をひろげ、大人は酒を飲み、子供と女は、ごはん食べながら、大陽気で語り笑つてゐるのである。日本は、ありがたい国だと、つくづく思つた。」
そう、運動会はかつても今もハレの場であり、日本文化なのである。
そして、その運動会で社会を元気にしようとした「運動会屋」がNPO法人ジャパンスポーツコミュニケーションズ代表理事・米司隆明氏だ。
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僕の使命

 
同法人を起業した2007年、米司氏が目にしたニュースの話題は引きこもりとIT企業の隆盛であった。職場からは飲みにケーションが消え、会話の代わりに隣り合った社員がメールをやり取りしていた。新卒採用者は短期間で離職してしまう。外資系企業の影響で成果主義が導入され、終身雇用は形骸化した。
膠着した職場に笑顔を取り戻すのは、スポーツによるコミュニケーションであると確信、米司氏は法人を立ち上げる。最初はフットサルイベントや球技大会を個人・企業向けに企画していた。
そんな中、職場と家族、取引先をも巻き込むイベントとして、運動会が最適ではという考えに至る。調べてみると、運動会をプロデュースする会社は見つからない。逆にいえば前例がない仕事だけに、なにをどうしたらいいか分からなかった。そこで、中学時代の体育教師に連絡し、教えを請うた。先生が説いたのは、具体的な準備をどうするかではなく、運動会が生徒と教師、家族が交流する年に一度の大切な場であること。万国旗が港の開港の際に飾られたことに由来するといったこと。そしてなにより、運動会がハレの日であるという理念であった。
米司氏はホームページに「運動会やります」の案内を告知した。すると間もなく、大阪の企業から問い合わせがあり、スタッフら4人と出かけていって第1回の運動会を企画運営した。100人弱の若い社員中心のサービス業の会社だった。大阪ということでノリもよかったのかもしれない。なんの情報もなく、イベント会社出身でもなんでない自分たちが、独自に考案したその運動会は大成功。なにより依頼してくれた社員らの喜んでくれる姿に強く感動した。「その後、すぐにたくさんの依頼が続いたわけではありません。1年目は苦しかったですが、運動会を運営することが僕の使命だと確信していました」
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専用運動会場の夢

 
運動会開催直後に「来年もやりたい」とリピートオーダーが舞い込むことも多く、関連会社や取引先を紹介してもらうなど、開催件数は徐々に増えていった。それとともにメディアの露出もあり、5件だった初年度の開催が、今年度は200件を見込むまでになった。
当初、自宅マンションを事務所にしていたが、大玉などの用具がベランダにあふれかえり、近所の人たちから奇異の目で見られるようになった。そこでブルーシートを掛けると「よけいにアヤシク見えるようになっちゃって」。その後、2度の転居の末、現在の倉庫を備えた事務所に落ち着いた。
閉会後のアンケートで、退職しようと考えていた依頼先の社員が「みんなと一緒に過ごしたことで、もう少しこの会社で頑張ってみようと思いました」との感想に触れた時には、これまでの努力が間違いではなかったと確信した。
米司氏のいちばん好きな競技は借り物競争だ。「“尊敬する上司”とか“私のライバル” とか指名された人を連れてゴールまで走るんです。“結婚したい人”の時には、告白するシーンもあったり」
赤のジャケットと白い帽子は64年の東京オリンピックのユニホームをモチーフにしている。また、20年の東京五輪の国際支援公約から助成金を得て、タイ、ラオス、インドで運動会を行った。「費用の持ち出しもありましたが、英語が通じない国での開催経験は、今後目標とする海外展開の大いなる糧となりました」。幼稚園や保育園の運動会を「恩返しとして」サポートするボランティアも実施。悩みは慢性的な会場不足で、将来は専用の運動会場をつくるのが夢である。
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