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今日の個店!

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ご縁のはじまりは、ツイッター(Twitter)。
 ”『働く』人・『働く』場所・『働く』時”をきりとって、残して。
(2011年4月27日掲載)

第10回 町工場を書くなら、ど真ん中に居続ける。
〜日刊工業新聞ツイッター取りまとめ役の、中のひと。〜

前回第9回の取材後記で触れたとおり、日刊工業新聞社編集局中小企業部長の奥田耕士さんの横顔に、本気で一度迫ってみようと思い、お願いしたところ、早速快諾をいただく。

「いいですよ!セットしましょう!25日でどうですか? 」


奥田さんのツイッターアカウントは、@kogyo_news 。
ツイッターのプロフィールには、
「日刊工業新聞社の編集局で中小企業部長をしています。全国の町工場情報をつぶやきます。日刊工業新聞ツイッターの取りまとめ役・雑用係を兼ねています。日本唯一の『モノづくり新聞』として、明るく前向きな経済ニュースを報道していきます。」
とある。


同じCmonoC合同入社式の記事だけでなく、神奈川の町工場現場のすばらしい記事がどんどん掲載されている日刊工業新聞さん。この動きのはやさ、そして毎日の楽しくてスピーディで、でも質実剛健で、あったかいツイート。この「中のひと」の素顔にすこしでも触れ、紹介してみたくなった。

つい先日4月20日(水)、大きく最終面を飾ったがんばっぺ!茨城プロジェクトでおなじみの、「ひたち立志塾」卒塾式の様子。その記事は、風邪をこじらせながら熱血取材された奥田さんご本人により執筆されたものだった。



待ち合わせの同社横浜総局は、なんとなんと、わが財団のビルから徒歩3分ほど・・・!

誰かに任せることなく、自ら新しいWEBツールを使って、新聞という紙メディアから情報を発信する、その、理由とは。

クルマが好きな理系出身記者。ツイッターと出逢って・・・
理系出身です。機械工学科。クルマが好きでね。自動車メーカーにはいりたいと思ってて。 でも入学してみたら、自分は成績上文系だと気づいた(笑)。結果、入学直後からもう文系、マスコミ志望になりました。自動車雑誌の編集者になろう、って思ってた。

日刊工業新聞に入社して2年間は、整理部でレイアウトを担当しました。
ここでみっちり基礎日刊工業新聞奥田さん を学んで、3年目から現在に至るまで、ずっと記者です。

(現在奥田さんは管理職のお立場のため、「ひたち立志塾卒塾式」記事のように自ら取材され、記事までおひとりで完成、は珍しいことなのだそうです。)

ツイッターは、それまで自分がやってきた”取材網づくり”と同じなんです。
たとえば、ここ横浜総局は、神奈川県全般を記者3人で担当していて。
毎日町工場に記者が実際に足を運んで、 行っちゃ書き、行っちゃ書き。その取材先を見つけて支局に紹介する、という流れを今までも僕自身担っていました。
その一部がツイッターでできるようになった、という感じです。
「ああ、実社会と、一緒だな」と思った。

「カチコチの新聞社オフィシャル」からはじまって・・・
ブログは、いわば、待ちのツール。

ツイッターは、自分が誰のツイートを読みたいか、自分で選ぶことができる、実はものすごく社会的な仕組み
実際の人脈のひろがり方と、一緒なんですね。

はじめたきっかけは、当社の社長の鶴のひと声。東洋経済のツイッター特集を手に、「これからのメディアがこれで変わるって書かれてるぞ!誰かやってみないか!」って。

やってやろうじゃないか・・とはじめてみたものの。当初は、カチコチの新聞社オフィシャルアカウントでした。
当日のダイジェスト3本を毎日アップするだけの、真面目なつぶやき。

しかし、それでは、フォロワーさんも増えない。なにもひろがらない。なにも起きない。

そこである日、
「ただこちらから一方的に情報を発信するだけでなく、町工場の情報に耳を傾けて取材に活かしていきたいと思います」
のような内容をつぶやいた
んです。日刊工業新聞奥田さんツイッター

そしたら、なんと、いきなり20人位のフォロワーさんにRT(引用返信)していただいたんです。反応がある、って、嬉しいじゃないですか!

これは、と思いました。
それからですね、ちょっとずつ、記事以外のつぶやきもはじめていったのは・・・。

ツイッターを見ていておもしろそうで、最初に記事化したのが、九州は博多の@mtoychanさん。
おもしろい会社があるぞ、と西部支社の担当者に連絡し、記事になりました。
それから、「おもしろい自社製品を手掛けている町工場募集!」と同じくこちらからツイッターで問いかけたところ、たくさんの反応をいただきましたね・・!
そのうちのひとつが、株式会社由紀精密さんの自社製品の記事です。

こうして、記事ネタ発掘型も公募型も、日刊工業新聞のツイッターでできる形として、いろいろ試みて いるところです。

そうは言っても、ええ、リアルな場所でのつながり、町工場の飲み会にも楽しく参加していますよ。

飲み会の場でそのまま取材・・・、はないかな。
もし、飲み会でなんとなくじっくり話を聞きたいネタを耳にしたら、あとで別途 取材を申し込んで記事化しますね。

僕自身は、記者になってからは、ベンチャー・流通サービス新聞・PC・半導体・自動車・商社・・・と、担当していたのは大手の企業対象でした。
支局の管理職になって、はじめて東京都大田区の町工場を取材したんです。
どこの地域でも、町工場の「人脈を大切にするところ」は同じです。
ですから、リアルなつながりという今までの経験に、ツイッターがプラスされたのも、全く違和感はありませんでしたね。
ツイッターの凄さ、奥田さんが居続ける場所、そして、新人記者への愛。
ツイッターでびっくりしたのは・・・
町工場の経営者さんっていうのはね、ほんとうにプロフェッショナル。
ぼくらの取材に対して、絶対、”弱音”は吐かないもの。
どんなに辛くても、そこを新聞記者に見せない。

でもツイッターでは・・・時折、弱音をオープンに書いている経営者さんがいる!

それは、斬新でしたね。
「こんなこと、つぶやいちゃうんだ?!書いちゃうんだ?!!」
って。

ツイッターやFacebookなどを使ってWEBでの情報発信ができている町工場っていうのは、やはり、企業として、強いところが多い。

町工場ではこの2代目・3代目が存在している、ってだけでもう、強いわけですから。

そんな強いところが、戦略を持ってこれからの町工場のありかたをリードしていく。
そこを僕らが支えていきたい。

それから、ツイッターの新しさはもうひとつあって。日刊工業新聞奥田さん

それまでにはなかった、地域間のネットワークも築かれつつあること。
東京、神奈川、茨城、福井、・・・実は、全国にこうして「なにかやってやろう」とする町工場人脈を形づくる地域がぽこぽこある。
その地域同士がツイッターによって、つながりはじめているんです。
もうこれからは、特定のエリアに限定されない町工場の連携ができていくのではないか、と思っています。

また、町工場の受発注・M&A・連携のためのインフラとして、無料ツールであるツイッターやFacebookが動き出すのは時間の問題ではないか、とも。

いまも毎日、僕の日刊工業アカウントのフォロワーさんが増えている。
ということは、毎日、中小製造業でツイッターを使い始める人たちが確実に増えているわけで。

モノづくり新聞としての日刊工業新聞は、そして、僕は、これからも、そのど真ん中に居続けたいと思っています。
・・・・いや、そこにいられないようじゃ、新聞自体がやっていけないな、と。



〜この4月1日より横浜総局に配属になった新人女性記者、伊勢さんにもプチインタビュー〜
・伊勢さんも理系女子だそうですが、なぜ新聞記者に?

「はい、理系出身です。分子生命科学専攻。日刊工業新聞奥田さん
理系の狭いけれど優れた領域を理解してくれる、わかりやすい文字の世界が あまりないな、と思って。
その橋渡しができたらいいなと、志望しました」

(奥田さん「俺もそう面接のときそう言った!みんなそう言うの!その先のオチが大事なんだ!」と、愛のエール。みつめる瞳が、今日1番のやさしさにあふれてる。)

・神奈川の町工場現場で、実際に記者として動いて2週間、感じていることは?

「いろいろなお話を聞くことができるのがなにしろウレシイです!町工場の中のことって、まわりでは全く知りようがないじゃないですか。たとえどんなにおもしろいこと、素晴らしい技術があっても・・・。
誰かが知らせないと。
見たまま、聞いたままを私が発信しないと。

そう、思っています!」

○取材後記○
日刊工業新聞奥田さん・星川さん横浜総局長の星川さん(写真左)も、お忙しい中この取材時に同席してくださって。

取材のプロの奥田さんに、臆せずいろいろ質問できたのは、長年の戦友(お互いにお互いを「当社のエース!!」と呼び合うお2人)の傍らで時折素のままの表情が垣間見えたからにちがいない。

お2人とも、さんなびったーの拙い取材ぶりにも声をそろえて、
両方経験してみるもんだなあ。いままで、取材してきたみなさんに、こんなプレッシャーあたえちゃってたのかあ。考えちゃうなあ。どんなふうに写真撮られて、どんなふうに書かれるのか、って・・・」

町工場のすべてを現場で知るお2人が、さんなびったーにこんなに素直に本音を漏らしてくださったのも、厳しい記者の眼の中に見える、あたたかいお人柄からくるもの。

新しいツールを自ら実際に使いながら、リアルの場に足を運び、生の声を聞き、魂の記事を書く。

すこしでも、お2人に近づけますように・・・。

そして、この取材で教えていただいたことを、いろいろなカタチで示していきたい。
最後、「こんな感じで取材になった??記事にできる??」と心配気味のお2人でしたが、完璧に聞きたかったことをゲットしていたさんなびったー。

また、近々、ぜひ、同じ取材現場で。
そして日本の産業の行く先がどんな道であれ、わたしも胸をはってど真ん中に居続けたい。
そのためには、まだまだ、精進の毎日。

さんなびったー このページの先頭へ